管理人の独り言−遠来の客人−


 先日、遠方の地から松江市までいらした方と親しくお話をする機会を得ました。
 ’76年から’85年まで東海楽器に勤められていたと言うその方と、わずか1時間ほどでしたがお話して、以前から疑問に思っていたことの幾つかの事柄が分かりましたので、多分差し支えないだろうと言う範囲で書きたいと思います。(色々しがらみもありますのでネタ元が割れないように書きますので、深く突っ込まないでくださいね。m(__)m)

○ 東海楽器について
1.製造ライン
  製造ラインは、高級手工品を扱う「寺島工場」と「本社工場」があったそうです。寺島工場では、概ね10万円以上のモデルを生産し、本社工場では4万円以上(時には3万5千円以上)を製作していたようです。それ以下は、ゼンオンからのOEMだったとのことです。寺島工場では、他にバンジョーやピアノ、チェンバロを作っていました。
2.塗装の白濁
  当時東海楽器ではKペイントの塗料を使っており、同じく複数のメーカーでもそれらが使われていました。ヤマハ(日本楽器)系列ではNペイントを使っていました。Kペイントの塗料には、塗装の伸びを良くするためパラフィン(ロウ)が配合されていました。これが白濁する原因だと思われます。パラフィンは汗を拭き残したりして湿気が残ったりすると白濁します。手形がくっきり付いたものもありました。
 当時Nペイントの塗料を使ったところは白濁が出ていません。東海楽器もNペイントの塗料が使いたかったのですが、系列があって使えませんでした。
※ アイロンで熱をかけて白濁を改善する方法がありますが、確かにパラフィンなら説明がつきますね。
3.フラットマンドリン
  当時フラットマンドリンも試作されました。海外ミュージシャンからギブソンのF−5を借りてきて採寸したりエックス線で写真を撮ったりしました。寺島工場で12本程度作られましたが、市販はされませんでした。個人的には面白い音がしていたと思っています。
4.東海楽器の会社更生法適用
  ’85年夏に会社更生法適用となり、寺島工場など閉鎖になりました。一時期社員寮を改造して工場としていたようです。
5.私のCE−2000について
  昔のD−42モデルとして設計されたようです。CE−2000Sの原型と言って良いかもしれません。サム・ブッシュのCE−2000も同型ですが、あのギターは彼にプレゼントされて、本国に持ち帰ったと聞いています。数本同型がある可能性があります。
※ お持ちの方、是非ご連絡を!
6.CE−1200Mについて
  当時思い切ったことをすると賞賛されました。マホガニーで単板とは言え12万円もするモデルだったのですが、良く売れました。もちろんそんなに生産本数は多くないですが。マホガニーは特殊なものではなかったと思いますが、材料に糸を通したりして組み合わせが変わらないように配慮し、完全にブックマッチを維持していました。

○ マーチン社について
  技術提携当時、東海楽器はほとんど接待と言うものをせずに営業していたようです。他社は接待攻勢をしていたようですが、東海においては応接室でお茶を一杯出す程度の素っ気無いものだったようです。しかし、このクリーンさをマーチン社が気に入って技術提携したのではないかというお話でした。
  また、マーチン社はコピー面では全く何もクレームをつけなかったそうです。太っ腹ですね!当時は真似できるものならしてみろということだったようですね。ただ、東海楽器ではマーチンを売っていましたので、キャッツアイを全く同じにするつもりはなく、価格帯も競合しない範囲に設定して製作されたようです。

(2007/3/19)