管理人の独り言−葬送−


 母(養母)が2004年3月1日永眠いたしました。享年84歳でした。頑健ではありませんでしたが、それでも長生きだったでしょうか。
 もともとかつて心筋梗塞を発症しており、それほど調子が良い状態ではなかったのですが、2003年11月に動脈瘤が肥大し、直径45ミリが1ヶ月で52ミリまで急に成長したため、12月中旬、急遽医大病院に治療のため入院いたしました。当初は動脈瘤の手術をする予定だったのですが、心臓と肺の状態がその手術に耐えられないだろうという検査結果が出たため、1月中旬心臓強化のため冠動脈のバイパス手術を受けました。術後は順調に回復していたのですが、2月中旬今度は肺炎を発症し、結果的にこれが命取りになりました。
 2月29日に私は同じ係の男性の結婚式に出席しておりました。妻は母の具合があまりよくなかったため、ずっと付き添っておりましたが、同日夜容態が急変し、3月1日朝私も医大病院に駆けつけ、朝方は話もしてお茶を飲ませたりしていて、医師からもう数日は持つだろうと告げられたため、長期戦に備え一度帰宅途中に再度医大病院から連絡があり、急変したので戻れとのこと。駆けつけてみると既に人事不省に陥り、午後帰らぬ人となってしまいました。
 あまりに亡くなるのが早かったため、心の準備もできていなかったのですが、身内や葬儀社等連絡し、葬儀の準備を致しました。兄(DUCKBILL)にもしかしたら葬儀があるかもしれない旨は直前に言っていたのですが、まさかこんなに早いとは思いもよりませんでしたが、都合を付けて帰郷してくれました。(感謝!)
 養母は、身寄りの少ない人で、私の実の母の実姉に当たります。従って、濃い血縁者は私と兄の二人きりになります。
 葬儀の手順は実の母が亡くなった時に経験済みでしたので、バタバタとしながらも妻がテキパキと段取りしてくれました。これは本当に妻に感謝しています。

 ご存じない方のために簡単に書きますと、(田舎方式です。)まず遺体を病院から連れて帰ります。これは自宅から30キロほど離れておりましたので葬儀社にお願いしました。その間に葬儀社と葬儀の段取りをします。通常は近所の方(葬儀組合があります。)に寄ってもらってから決めるのですが、今回は葬儀社を使うことを決めておりましたので、病院からお寺に連絡して、日程と会場をさっさと決めました。その日程に従って、近所の方や葬儀社と帰宅してからうち合わせ、その後通夜、密葬、火葬、告別式と続きます。当日遺骨を墓に納めるつもりでしたが、墓石が簡単に動かせないことが火葬中に判明し、見送りとなりました。これは誤算です。^^;告別式の後は、7日法事を同日行って、当日終了となります。遺骨は、翌日業者をお願いして墓石を動かしてもらい、無事納めました。

 その後は、地方の風習として7か寺参りという同宗の寺(家は浄土真宗です。)を7箇所お参りするという行事があります。ついでに義父(妻の父)に勧められて、6地蔵参りも行いました。(浄土真宗では地獄思想が無いため本来必要ありません。)

 行事としては四十九日があり、100か日、初盆、一周忌、三回忌と続きます。当面3年は仏事が忙しいですね。
 四十九日は、妻の両親と私たち夫婦で営みました。当家は親戚筋が多くありませんが、普通は結構遠い親戚まで呼んで営みます。
 100か日は、養母のつれあい(養父とならない。)の25周忌と併せて菩提寺で営みました。これは夫婦だけでした。通常も近親者だけで営むことが多いようです。
 続いて初盆です。この時私たち夫婦は、仕事の都合で実家を離れたところに住んでおりましたので、準備が大変でした。近所の方々が、お盆にお参りに見えますから、おもてなしやご仏前のお返しを用意しておかねばなりません。特に親戚縁者が少ないため、お茶方の手伝いも無く、妻には苦労をかけました。
 ここまで半年たらずの間の出来事です。かなり大変なんですよね。
 先日ようやく1周忌を済ませました。四十九日と同じく妻の両親と私たち夫婦で菩提寺にて営みました。3月1日が命日だったのですが、転勤を目前に控えバタバタとしており、さらに転勤先でも忙しくしていたため、GW明けになってしまい、故人には申し訳なく思っております。

 来年は3回忌、そしてその次は実母の7回忌が待っております。暫く仏事が続きます。

(2005/5/27)